『小田 実』

ドナルド・キーン

ドナルド・キーン
(写真提供/共同通信)

 小田実は13歳で大阪の空襲に遭遇した。凄まじい破壊と炎、そして数え切れない犠牲者。全ては灰になったのに、翌日には戦争が終わる。空襲はまったく意味がなかったのだ。
 この日の出来事、そして空襲の跡の情景が少年の生涯を決定する。長じた後、小田実は強い反戦主義者となり、彼の文学にもそれが大きなテーマとなって行く。また、戦争が遂に終わったのも、大阪からそう遠くない広島に落とされた原子爆弾という恐ろしい武器によるものだった。残された死の灰も小田実の文学に大きな影響を及ぼした。

 大学に進学した小田実は古代ギリシャ語を専攻する。なぜ、ギリシャ語を選んだのか、私には分からないが、自分の周囲にあった世界が爆撃で破壊された経験により、古代ギリシャの文学や哲学のように永劫に残るものに惹かれたのだろうか。その後、多くの経験を積んでからもギリシャ語を忘れず、晩年にはロンギノスの翻訳を発表した。
 アメリカに留学した時から、人種差別にも深い関心を抱いた。そして、戦争と平和主義が小田実の文学と思想の中心であった。「ガ島」「HIROSHIMA」「玉砕」などである。また、ベトナム戦争に対する抗議行動で、文学とは縁のない人々にも、その名を知られるようになった。

「玉砕」は小田文学の主要テーマの総決算であろう。南洋の島の作戦を描いた小説で、場所は特定されていないが、明らかにパラオ諸島のペリリューである。太平洋戦争で最も長引いた戦線の地で、日本とアメリカの軍隊が離れ小島で3ヵ月に及ぶ戦闘を続けた。中心人物は戦争の理想を少しも疑わない中村軍曹と金伍長という韓国人である。金は自らを半島の日本人と呼び、自分の名前はコンである、キンでもキムでもないと「念を押すように言って来たことだ。内地の日本人のなかにも、昔から『金』と書いて『金(こん)』と読ませる人はいくらでもいただろう」と言う。自分は半島の日本人だと言うが、中村と違い、天皇陛下のため、或は日本のために戦っているとは言わず、ただ「おれは勝つ。そのつもりだ」と口にする。金にとって太平洋戦争とは自分が一般の日本人には負けない、また、自身も日本人であるという闘争なのだ。
 金は完璧な軍人である。射撃はおそらく聯隊はおろか、師団一の腕前だった。韓国人に対する偏見があっても、伍長に成れたが、中村は金が「なみの日本人の兵隊よりも苦労して来たにちがいない」と想像する。偏見は韓国人のみならず、沖縄県人に対しても存在した。ここで登場する金城二等兵は、スフを軍服として纏い、明治時代の鉄砲を持つ元漁師である。金伍長は初めて会った金城に言う。
「おれの名前は金(こん)……金(こん)伍長。おまえと同じ金(きん)だが、金(こん)と読む」
 名前だけではなく、同じような差別待遇を受けたことが示唆される。この小説の最も劇的な場面は終幕である。日本軍の死闘にもかかわらず、「日増しに、日本軍にとって状況は急速に悪化して来ていた。(中略)弾薬、食糧、水、薬品が不足して来た」
 中村もひどい傷を受ける。金は中村に同情して、敵のビラを見せる。
「我等は皆さんの命を助け、無事な帰還を保証する」
 だが、中村は言う。
「おまえはおれに俘虜になれと言うのか」
「おれはおまえに生きていて欲しいからだ」と金は答える。
 しかし、中村ははねつける。
「おれは日本人だ。おまえのような……朝鮮人とちがって、俘虜にはならん」
 金はこの答えに激しい衝撃を受ける。同じ極限状態にある軍人でありながら、心の奥底で中村は金を疑い、軽蔑しているのだ。
 そして、この戦争の中でも特に悲惨なことだが、ペリリュー島で死んだ多くの日本兵、アメリカ兵はまったく報われなかったのだ。一般の兵士は知らなかったが、ペリリュー島で最後の日本兵が死んで、文字通りの玉砕を迎える以前に、アメリカ軍はフィリッピンに上陸を敢行し、その結果、飛び越えられたペリリューには、根拠地としての戦略的価値は完全に失われていたのだ。

 小田実は差別の醜さや戦争の無意味を描くために「玉砕」を書いたのではないかと思う。
 これこそは彼の生涯のテーマであったのだ。